中国では椅子からスイカまであらゆるものが爆発する!というのはインターネットユーザーにはよく知られた笑い話ですが(笑い話では済まないかもしれませんが)、さすがに今月発生した天津での大爆発にはビックリした人も多いのではないでしょうか。
まるで空爆を受けたような大爆発と半径2キロ以内の建物の窓ガラスが衝撃波で割れてしまうという規模は、未曾有の大災害と呼んで差し支えないものでした。
日本ではとても考えられない。。。と思う人も多いと思いますが、なぜ日本ではあり得ないと思うような事故が、中国では「あり得る」のでしょうか。
それには、基礎的な教育レベルの不足、もっと言えば「格差」が関係していると思うのです。
■ 基礎教育の不足がもたらす危険
まず誤解を避けるために述べておきたいのですが、決して中国の教育レベルそのものが低い、ということはありません。中国の教育は著しい工場を見せており、あらゆる学術・技術分野で主要プレーヤーになっています。
問題なのは、教育の格差です。
経済的にも、沿岸部の大都市と内陸部の農村では大きな格差があることはご存知だと思いますが、それはそのまま教育面での格差が存在することも意味しています。
貧しい農村部の子供達は基礎的な教育も受けられないことが多いのです。
今回の大爆発事故では、法律・規制が遵守されておらず、管理不行き届きであったことが最大の問題とされています。確かにそれが直接的な原因の一つになったことは否定できません。届出が必要であった化学物質を規定量を超えて保管しており、しかも十分な管理がされていなかった。
ではこのようなずさんな管理が他の国ではあまり起こらず中国では起こり得るのでしょうか。
通常、このような危険物質を扱う場合、適切な資格を有する管理者を置かなくてはいけません。それは中国も日本も同じです。しかし、作業員として働く末端の労働者はどうでしょうか。
管理者はもちろん、作業者も一定水準の教育を受けている場合、明らかにずさんな管理がされている場合は、誰かから疑問の声が上がってくるものです。例えば、可燃性の物質をまとめておいていいのか、消火設備が整備されていなくていいのか、など。
基礎的な化学の知識があれば、油火災に水をかけてはいけないことは判断できるのですが、それは前提となる知識があってこそです。
しかし、化学に関する基礎的な知識がない場合、そういったフィードバックは望むべくもありません。(逆に、作業者が真面目であれば真面目であるほど、指示通りの作業をきっちり履行することになるでしょう)
中国人民の教育レベルはまちまちですが、もはや産業は非常に高度化しており、ゆがみが生じていると言えるでしょう。
もう一度述べますが、これは国民性や資質の違いではありません。社会のインフラの問題なのです。
■ なぜ教育格差が存在するのか
言うまでもないことですが、まずあげられるのは沿岸を中心とする大都市と、内陸部を中心とする農村の圧倒的な経済格差でしょう。
中国は建前は社会主義国家ですが、経済は圧倒的に資本主義の原則に則って運営されています(資本主義ではあっても、自由主義ではありません。混同されやすいですが、異なるものです)。主要都市以外ではさしたる産業が発展していない以上、振り分けられるお金にも限りがあるのです。
上海では高卒者の大学進学率が85%ほどに上るのに対し、農村部の貧しい家庭からも大学に進学するのは5%以下にとどまっています。高校就学率も40%と過半数を割り込みます。
この経済格差により、農村部の家庭では両親がともに都市部へ出稼ぎへ出ていることが多く、貧困の中での保護者の不在という状況にあることが珍しくありません。両親に会えるのは1年のうち1回だけ、子供は顔も覚えていないということもあるのです。このような中で一定の教育を求めるのは無理があるでしょう。
両親不在の中で貧困にあえぐ兄弟が「死ぬことが唯一の希望だった」という遺書を残して心中を図った事件も報じられました。
さらに、日本と異なり中国では農村部から都市部への移住が厳しく制限されています。働きに出てくることはできるものの、戸籍を変更することはできないので、公教育を都市部で公教育を受けることはできないのです。戸籍を自由に移動することができないことも、家族を残したまま出稼ぎに出ざるをえない理由のひとつです。
生まれた時点で将来に厳しい制限が課されているといっても過言ではありません。
また、最近緩和されたとはいえ、中国では一人っ子政策により子どもの数が制限されていましたが、農村部では多くの兄弟がいることが多いです。この場合、そもそも戸籍を持っていないケースもかなります。すなわち、教育を含めた公共サービスを受けられないということになります。
このように、中国は一部の発展を重点的に実施することで全体の底上げを図り、それは成功したと言えるのですが、一方でこぼれ落ちた歪みはそのまま取り残され厳しい状況に置かれているという現実があるのです。
■ お国柄、では済まない事情
中国で高等教育を受けた人々は、一般的に言って危険を伴う仕事、単純労働などには従事したがりません。今回、危険物を扱っていた港湾倉庫で労働に従事していたのは、高等教育を受けられなかった人々が一定の割合でいるでしょう。
日本では中国で事件があると、お国柄、と言って納得している節があるのですが、個人個人の責任、考え方の違いだけが理由ではないのです。
ここ四半世紀の急激な発展の中で生まれた歪みが、折々に事件・事故という形で噴出していると見るべきでしょう。
今回はいかにも管理者は管理責任を怠っていましたが、彼らを処罰するだけでは根本的な解決は遠いままなのです。
まるで空爆を受けたような大爆発と半径2キロ以内の建物の窓ガラスが衝撃波で割れてしまうという規模は、未曾有の大災害と呼んで差し支えないものでした。
日本ではとても考えられない。。。と思う人も多いと思いますが、なぜ日本ではあり得ないと思うような事故が、中国では「あり得る」のでしょうか。
それには、基礎的な教育レベルの不足、もっと言えば「格差」が関係していると思うのです。
■ 基礎教育の不足がもたらす危険
まず誤解を避けるために述べておきたいのですが、決して中国の教育レベルそのものが低い、ということはありません。中国の教育は著しい工場を見せており、あらゆる学術・技術分野で主要プレーヤーになっています。
問題なのは、教育の格差です。
経済的にも、沿岸部の大都市と内陸部の農村では大きな格差があることはご存知だと思いますが、それはそのまま教育面での格差が存在することも意味しています。
貧しい農村部の子供達は基礎的な教育も受けられないことが多いのです。
今回の大爆発事故では、法律・規制が遵守されておらず、管理不行き届きであったことが最大の問題とされています。確かにそれが直接的な原因の一つになったことは否定できません。届出が必要であった化学物質を規定量を超えて保管しており、しかも十分な管理がされていなかった。
ではこのようなずさんな管理が他の国ではあまり起こらず中国では起こり得るのでしょうか。
通常、このような危険物質を扱う場合、適切な資格を有する管理者を置かなくてはいけません。それは中国も日本も同じです。しかし、作業員として働く末端の労働者はどうでしょうか。
管理者はもちろん、作業者も一定水準の教育を受けている場合、明らかにずさんな管理がされている場合は、誰かから疑問の声が上がってくるものです。例えば、可燃性の物質をまとめておいていいのか、消火設備が整備されていなくていいのか、など。
基礎的な化学の知識があれば、油火災に水をかけてはいけないことは判断できるのですが、それは前提となる知識があってこそです。
しかし、化学に関する基礎的な知識がない場合、そういったフィードバックは望むべくもありません。(逆に、作業者が真面目であれば真面目であるほど、指示通りの作業をきっちり履行することになるでしょう)
中国人民の教育レベルはまちまちですが、もはや産業は非常に高度化しており、ゆがみが生じていると言えるでしょう。
もう一度述べますが、これは国民性や資質の違いではありません。社会のインフラの問題なのです。
■ なぜ教育格差が存在するのか
言うまでもないことですが、まずあげられるのは沿岸を中心とする大都市と、内陸部を中心とする農村の圧倒的な経済格差でしょう。
中国は建前は社会主義国家ですが、経済は圧倒的に資本主義の原則に則って運営されています(資本主義ではあっても、自由主義ではありません。混同されやすいですが、異なるものです)。主要都市以外ではさしたる産業が発展していない以上、振り分けられるお金にも限りがあるのです。
上海では高卒者の大学進学率が85%ほどに上るのに対し、農村部の貧しい家庭からも大学に進学するのは5%以下にとどまっています。高校就学率も40%と過半数を割り込みます。
この経済格差により、農村部の家庭では両親がともに都市部へ出稼ぎへ出ていることが多く、貧困の中での保護者の不在という状況にあることが珍しくありません。両親に会えるのは1年のうち1回だけ、子供は顔も覚えていないということもあるのです。このような中で一定の教育を求めるのは無理があるでしょう。
両親不在の中で貧困にあえぐ兄弟が「死ぬことが唯一の希望だった」という遺書を残して心中を図った事件も報じられました。
さらに、日本と異なり中国では農村部から都市部への移住が厳しく制限されています。働きに出てくることはできるものの、戸籍を変更することはできないので、公教育を都市部で公教育を受けることはできないのです。戸籍を自由に移動することができないことも、家族を残したまま出稼ぎに出ざるをえない理由のひとつです。
生まれた時点で将来に厳しい制限が課されているといっても過言ではありません。
また、最近緩和されたとはいえ、中国では一人っ子政策により子どもの数が制限されていましたが、農村部では多くの兄弟がいることが多いです。この場合、そもそも戸籍を持っていないケースもかなります。すなわち、教育を含めた公共サービスを受けられないということになります。
このように、中国は一部の発展を重点的に実施することで全体の底上げを図り、それは成功したと言えるのですが、一方でこぼれ落ちた歪みはそのまま取り残され厳しい状況に置かれているという現実があるのです。
■ お国柄、では済まない事情
中国で高等教育を受けた人々は、一般的に言って危険を伴う仕事、単純労働などには従事したがりません。今回、危険物を扱っていた港湾倉庫で労働に従事していたのは、高等教育を受けられなかった人々が一定の割合でいるでしょう。
日本では中国で事件があると、お国柄、と言って納得している節があるのですが、個人個人の責任、考え方の違いだけが理由ではないのです。
ここ四半世紀の急激な発展の中で生まれた歪みが、折々に事件・事故という形で噴出していると見るべきでしょう。
今回はいかにも管理者は管理責任を怠っていましたが、彼らを処罰するだけでは根本的な解決は遠いままなのです。