2015年08月

中国では椅子からスイカまであらゆるものが爆発する!というのはインターネットユーザーにはよく知られた笑い話ですが(笑い話では済まないかもしれませんが)、さすがに今月発生した天津での大爆発にはビックリした人も多いのではないでしょうか。

まるで空爆を受けたような大爆発と半径2キロ以内の建物の窓ガラスが衝撃波で割れてしまうという規模は、未曾有の大災害と呼んで差し支えないものでした。

日本ではとても考えられない。。。と思う人も多いと思いますが、なぜ日本ではあり得ないと思うような事故が、中国では「あり得る」のでしょうか。

それには、基礎的な教育レベルの不足、もっと言えば「格差」が関係していると思うのです。

■ 基礎教育の不足がもたらす危険

まず誤解を避けるために述べておきたいのですが、決して中国の教育レベルそのものが低い、ということはありません。中国の教育は著しい工場を見せており、あらゆる学術・技術分野で主要プレーヤーになっています。

問題なのは、教育の格差です。

経済的にも、沿岸部の大都市と内陸部の農村では大きな格差があることはご存知だと思いますが、それはそのまま教育面での格差が存在することも意味しています。
貧しい農村部の子供達は基礎的な教育も受けられないことが多いのです。

今回の大爆発事故では、法律・規制が遵守されておらず、管理不行き届きであったことが最大の問題とされています。確かにそれが直接的な原因の一つになったことは否定できません。届出が必要であった化学物質を規定量を超えて保管しており、しかも十分な管理がされていなかった。
ではこのようなずさんな管理が他の国ではあまり起こらず中国では起こり得るのでしょうか。

通常、このような危険物質を扱う場合、適切な資格を有する管理者を置かなくてはいけません。それは中国も日本も同じです。しかし、作業員として働く末端の労働者はどうでしょうか。

管理者はもちろん、作業者も一定水準の教育を受けている場合、明らかにずさんな管理がされている場合は、誰かから疑問の声が上がってくるものです。例えば、可燃性の物質をまとめておいていいのか、消火設備が整備されていなくていいのか、など。
基礎的な化学の知識があれば、油火災に水をかけてはいけないことは判断できるのですが、それは前提となる知識があってこそです。

しかし、化学に関する基礎的な知識がない場合、そういったフィードバックは望むべくもありません。(逆に、作業者が真面目であれば真面目であるほど、指示通りの作業をきっちり履行することになるでしょう)

中国人民の教育レベルはまちまちですが、もはや産業は非常に高度化しており、ゆがみが生じていると言えるでしょう。

もう一度述べますが、これは国民性や資質の違いではありません。社会のインフラの問題なのです。

■ なぜ教育格差が存在するのか

言うまでもないことですが、まずあげられるのは沿岸を中心とする大都市と、内陸部を中心とする農村の圧倒的な経済格差でしょう。

中国は建前は社会主義国家ですが、経済は圧倒的に資本主義の原則に則って運営されています(資本主義ではあっても、自由主義ではありません。混同されやすいですが、異なるものです)。主要都市以外ではさしたる産業が発展していない以上、振り分けられるお金にも限りがあるのです。

上海では高卒者の大学進学率が85%ほどに上るのに対し、農村部の貧しい家庭からも大学に進学するのは5%以下にとどまっています。高校就学率も40%と過半数を割り込みます。

この経済格差により、農村部の家庭では両親がともに都市部へ出稼ぎへ出ていることが多く、貧困の中での保護者の不在という状況にあることが珍しくありません。両親に会えるのは1年のうち1回だけ、子供は顔も覚えていないということもあるのです。このような中で一定の教育を求めるのは無理があるでしょう。
両親不在の中で貧困にあえぐ兄弟が「死ぬことが唯一の希望だった」という遺書を残して心中を図った事件も報じられました。

さらに、日本と異なり中国では農村部から都市部への移住が厳しく制限されています。働きに出てくることはできるものの、戸籍を変更することはできないので、公教育を都市部で公教育を受けることはできないのです。戸籍を自由に移動することができないことも、家族を残したまま出稼ぎに出ざるをえない理由のひとつです。
生まれた時点で将来に厳しい制限が課されているといっても過言ではありません。

また、最近緩和されたとはいえ、中国では一人っ子政策により子どもの数が制限されていましたが、農村部では多くの兄弟がいることが多いです。この場合、そもそも戸籍を持っていないケースもかなります。すなわち、教育を含めた公共サービスを受けられないということになります。

このように、中国は一部の発展を重点的に実施することで全体の底上げを図り、それは成功したと言えるのですが、一方でこぼれ落ちた歪みはそのまま取り残され厳しい状況に置かれているという現実があるのです。

■ お国柄、では済まない事情

中国で高等教育を受けた人々は、一般的に言って危険を伴う仕事、単純労働などには従事したがりません。今回、危険物を扱っていた港湾倉庫で労働に従事していたのは、高等教育を受けられなかった人々が一定の割合でいるでしょう。

日本では中国で事件があると、お国柄、と言って納得している節があるのですが、個人個人の責任、考え方の違いだけが理由ではないのです。
ここ四半世紀の急激な発展の中で生まれた歪みが、折々に事件・事故という形で噴出していると見るべきでしょう。

今回はいかにも管理者は管理責任を怠っていましたが、彼らを処罰するだけでは根本的な解決は遠いままなのです。

モバイル機器をめぐる環境はここ10年で一変しました。

特にiPhoneを皮切りとしたスマートフォンの進化(それに先立つBlackBerryの存在を忘れるわけにはいきませんが)、タブレットコンピューターの普及、ラップトップ(ノートパソコン)の劇的な薄型により出先でリッチなコンピューティング環境を整えることは難しいことではなくなりました。
みんな何がしかのモバイル機器を持ち歩いて、打ち合わせでは全員各々のラップトップを眺めている都いうのは見慣れた光景です。

しかし、劇的な向上を見せているとはいえ、どのようなモバイル機器を持ち歩くか、自席や自宅以外でどのように仕事をするか、というのは相変わらずビジネスマンを悩ませているトピックのようです。
バッテリーがどれだけ持つか、軽くなったとはいえ四六時中持ち歩くには重くないか、薄いがパワーが無い、などこれが最適解!と断言できるようなものはなく、そういったガジェットに詳しい人ほど試行錯誤を続けているようにです。

前振りはさておき、ほとんどオフィスにとどまることなく、国内外ひたすら出張しながら仕事をしてきた私としては、こう断言できます。

史上最高のモバイルは「紙のノート」であると。

■ 電源にまつわる問題が無い

モバイル機器を持ち歩いている人はおそらく電源/充電の問題に悩まされていることと思います。出先に電源(コンセント)は用意されているか、充電器は持っていくべきか置いていくべきか、などなど。スマートフォンの大型・高性能化に伴い、モバイルバッテリーを持ち歩いている人も多いです。

あたりまえですが、紙のノートはそういった問題を考慮する必要がありません。そもそも電源を必要としないためそんなことあたりまえじゃん、という話ですが、使いたい時にいくらでも好きなように使える、というのはものすごく大きなメリットです。

バッテリーを節約した方が良いのでは?ということで躊躇したり、充電できる環境を気にしないで作業できるというのは、本来のモバイル性に照らし合わせてみると根本の要件と言えるでしょう。 

加えて、起動する、という概念が無いため、立ち上がる/アプリを起動する、といった待ち時間無くすぐさま作業できることも利点です。
ノートを取り出す、開く、以上。すぐに作業を始めることができます。
(この点で紐のしおりが付いているノートをお勧めします。モレスキンとかロディアウェブノートなど、しおりを持って開けば一発です)

■ 高い堅牢性

モバイルデバイスを持ち運ぶために各種のケースを使用している人は多いと思います。特にスマートフォンにはかなりの人がケースを使用しています。
ファッション性を重視している人もいますが、多くはモバイル機器の損傷を避けるためでしょう。

スマートフォン、タブレット、ラップトップPCすべて精密機器ですので、落としたり強い衝撃を与えると壊れてしまうことがあります。取り扱いにはそれなりに注意を払わないといけないというわけです。

この点、紙のノートは電子機器ではありませんので衝撃などを気にする必要はありません。よっぽど長時間水に漬けていない限りは水に濡れて情報が失われることだってありません。
思い立ったらカバンにポイッと放り込んで出かければいいのです。

埃っぽい、酷暑である、屋外で雨が降るかもしれない、といった場所でも活躍します。環境を選ばず使えるというのは紙の大きなアドバンテージでしょう。

■ なんでもできる なんでも描ける

これはモバイル環境とはあまり関係ないことですが、コンピューターなどと比べて紙が圧倒的に優れていることの一つは、フォーマットが制限がされていないことです。

文字でメモを取ることもできるし、概念を整理するための図を描くことだってできる。その隣に落書きをすることだってできるし、パッと思いついたデザインを書き留めておくことだってできる。隣にいる人に絵を描きながら説明することだってできるのです。
これは、紙の大きな大きな利点です。

確かにコンピューターにできることはものすごく増えてきました。

音楽を作ったり、映画を見たり、写真を編集したり、絵を描いたり・・・。
ただ、電子的な計算が必要なこと以外なら、ほとんどなんでも紙の方が自由にできます。

エヴァーノートやマイクロソフトのOneNoteなどを使っている人もいると思います。
これらは紙のノートのようにいろいろな情報をフォーマットに関わらずメモすることが可能です。でも、一言メモの隣にアイデアスケッチを書き込もうとすると、けっこう大変なんです。紙のノートだったら20秒でできるのに。
打ち合わせなどでひたすらコンピューターでメモを取っている人がいますが、コンピューターでメモを取っているとどうしても思考がテキストベースになりがちです。言語をそのままメモするのならキーボードの方が早いかもしれませんが、テキストの枠を超えた発想になかなか発展しないのです。

MacintoshやiPhoneを始め、数々の革新的なコンピューターデバイスを世に送り出してきたスティーブ・ジョブズも、打ち合わせでまとめてきたスライドを見せられることには批判的(というより完全拒否)だったそうです。彼は打ち合わせではホワイトボードを使用し自由に意見を戦わせることを好みました。

もちろん、コンピューターの方が適していることも数限りなくあります。
写真、動画を編集したり、インターネットで調べ物をしたり・・・。元がデジタルのデータを扱ったり、計算が必要なものはラップトップやタブレットを使った方がよいでしょう。

あくまで適材適所です。
アイデアを膨らませたり軽いメモを取ったりする段階では紙の方が直感的だというだけです。
かくいうこの文章も、基本的な構成は紙のノートで考え、iPadで文を書いています。

■ 最高のモバイル 紙のノート

そんなわけで、私は史上最高のモバイルガジェットとして、紙のノートをお勧めします。

どこでも、いつでも、なんでもできる(なんでもというのは言い過ぎだけど・・・)。

情報端末の取り回しに悩んでいる人がいたら、紙のノートを使うことを強くお勧めします。

■ オマケ
せっかくなので、いろいろノートを使ってきた私のお勧めノートを幾つか紹介します。


ここ10年くらいはずっとこのノートを使っています。その間に随分有名になってしまいました。
日本で買うと1冊3000円くらいしますが、輸入版をアマゾンで買うと2000円くらいで買えます。
耐久性の高さ、小物ポケット、しおりと盤石な作りですが、ペンをどうやって一緒に携帯するかが悩みどころ。
ピカソ、ゴッホ、チャトウィンなどが使っていたという情緒性が好きか否かで評価が分かれるところ。

ポケットメモはこれを使っています。
フランス製でこちらも表紙に耐水性があるなど質実剛健なつくり。
紙質は素晴らしいの一言ですが、罫線の色が濃いのでブルーブラック系のインクを使っている人には難があるかも。

前述のロディアのノートブック版。かなりモレスキンに近いつくり(というかモレスキンの対抗であることを明確に意識)。
紙質はモレスキンよりもこちらを好む人も多い。あとは好みの問題。









文房具好きの間ではにわかに人気のトラベラーズノート。
牛革をざっくりと切ってシンプルにバンドで留めた風合いがうり。これはリフィルを補充して革のカバーは使い続けられる仕組み。


さあ、原点に立ち返って、ノートで仕事してみませんか?

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